日本での経験がアーセン・ベンゲルに与えた影響
STEFAN VASILEV氏の記事の紹介です。
旅をしたり、異文化と交流したりすることで自分の知っている知識や価値観は変化していく。そしてそれはまさにアーセナルの偉大な監督、アーセン・ベンゲルに起こったことだ。
1996年にアーセナルの監督に就任する前、ベンゲルは1年半の間、日本で監督をしていた。その間彼は名古屋グランパスを指揮し、クラブの歴史を塗り替えた。
しかしその実績が彼を変えたのではない。彼を変えたのは日本の文化であり、それが彼自身を通じてアーセナルに変革をもたらした。
アーセン・ベンゲルは才能ある監督であった。フランスにいた頃からその知性や長期的な視点で、チームの問題を解決する名将であった。
彼の監督としての名声は、モナコ時代に飛躍的に高まった。モナコでの監督としてのキャリアはフランスでは異例の7年間に及んだ。
そこでは、埋もれていた才能あふれる若手選手を次々と発掘した。ユーリ・ジョルカエフ、ジョージ・ウェア、ティエリ・アンリなどの選手を世界に送り出していったのだ。
しかしベンゲルのアーセナルでの成功の要因はフランス時代の経験だけによるものではない。
彼は監督のキャリアを通じて、フランスで2チーム、日本で1チーム、そしてイングランドで1チームを指揮してきた。彼は多くの文化と交流してきた。
そのなかでも特に日本での生活がベンゲルに影響を与えたのは間違いないだろう。日本には何千年にもわたる歴史で形成された独自の文化があり、欧米の文化とは大きく異なる。
日本人にとって、道徳、誠実、勤勉、寛容、礼儀などは社会における主要な倫理的価値観のほんの一部に過ぎない。
日本の社会生活は穏やかで、ベンゲルは渡英後もその穏やかさを持ち続けている。
ベンゲルに親しい人たちは、「彼は気性が荒い」と口をそろえる。ベンゲル自身も気性の荒さを抑える努力をしてきたことを認めている。
日本で過ごした1年半の期間は、間違いなく彼が自制心を保つのに役立っている。ときには激しい怒りを爆発させることもあるが、ほとんどの場合彼は高い自制心を保っていた。
ベンゲルが日本人の生き方に感銘を受けたのは間違いない。「日本人は長時間働いているにも関わらず長生きをする」と彼は語ったことがある。彼はその原因を彼らの健康的な食生活に見出していた。
そしてベンゲルはアーセナルに日本流の文化をもたらした。就任後すぐに、当時の彼のやり方に懐疑的だったアーセナルの選手たちに、健康的な食生活を課した。そして最先端のジムの設営も決定した。
また後半の開始前にリラックスした環境でより集中することができるよう、選手にハーフタイムの間は寡黙であることを求めた。
当初は彼の革命的なメソッドが、多くの人にとって奇妙なもののように映ったが、非常に効果的なやり方であった。
彼は日本のビジネスマンのように振る舞い、常に変化し続ける世界の中で不滅の伝統を守り続けているのだ。
彼の個性と多文化からの影響が混ざり合った結果、ベンゲルはサッカー界で最高の監督の1人となった。
彼は知識と経験を活用してクラブを変革させた。アーセナルのファンは永遠に彼に感謝をするだろう。
STEFAN VASILEV
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